中国のトップ大学のひとつ、対外経済貿易大学。西村友作さんは、ここで教鞭をとる数少ない外国人講師のひとりです。専門は金融経済。もちろん、授業は中国語。どこの国でもそうで すが、中国の大学でも、専任の講師としてポストを獲得する外国人は極めて珍しいのです。西村さんはそれを、28歳での留学を振出しに2010年に実現して しまいました。この連載では、西村さんが留学生活で出会った中国人や中国での発見を通して、留学の価値を語り尽くしてくれます。
「留学」は私の人生に大きな変化を与えました。
1995年、大学3年生の夏休み。大学主催の「海外事情研修」で行った深圳大学での約一カ月の短期留学が、人生の大きなターニング・ポイントとなりました。
当時の深圳といえば、1992年の鄧小平「南方講話」を受け沸きに沸いている時期。
ベンツやBMWといった名だたる高級車がクラクションを鳴らしながらひしめき合っている公道。当時『大哥大』と呼ばれていた大きな携帯電話を片手に 大声で「何か」を喋っている若者。その横で必死に物乞いをするホームレスの子供たち。九州熊本で育った田舎っ子の目に映る「新世界」はとても刺激的で魅力 的でした。
「なんだここは…。す…すごすぎる!この国をもっと知りたい!!」
これが私と中国の出会いです。一目ぼれと言ってもいいかもしれません。
深圳での短期留学を終えた私は首都北京での長期留学を決意します。短期留学中に全く喋れず悔しい思いをした中国語の勉強を本格的に開始、それと同時 に留学の手続きを独自で進めました。学校のカリキュラムに大学4年での留学は当然無く、休学留学という選択肢しか残っていません。そのため、国際交流セン ターの先生が個人的に手伝ってくれる以外は、大学は基本的にノータッチ。自分自身で資料請求や申込み全てを行う必要があったのです。
当時はインターネットが無く情報はほぼ皆無に等しい状態。しかも電子メールが無いので中国とのやり取りは全て手紙です。大学の図書館で留学指南本を 借りて、『尊敬的外事办老师,您好!……』と何が書いてあるか意味も分からない中国語を丸写し、数校に資料請求をしました。今では随分改善されています が、95年当時の中国の郵便サービスは整っておらず、頻繁に紛失事故が起きていました。その時も、10校近くの大学に資料請求したのですが、実際に返事が 来たのは4校でした。
その数校の中から選んだ大学は「北京商学院(現北京工商大学)」。地元のタクシー運転手も知らないような小さな大学です。そこを選んだ最大の理由 は、日本人がほとんどいないこと。「北京大学」や「北京語言学院(現北京語言大学)」は素晴らしい語学カリキュラムがある反面、日本人も数多くいました。 「日本語を極力喋らない中国語漬けの環境」こそが、私にとって最大の魅力だったのです。
このようにして始まった留学生活。まさか累計9年間(!)も続くとは夢にも思いませんでした。
1996年9月から1997年8月までを「北京商学院」で、2002年9月から2010年7月までを現在の職場でもある「対外経済貿易大学」で留学生として過ごしました。
このBillion Beatsでは、私がこれまでの約9年間の留学生活で出会った中国人や外国人留学生、異国の生活の中で実際に見たことや感じたことを綴っていきたいと思います。
「留学」は私の人生に大きな変化を与えました。 19…
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西村友作
対外経済貿易大学副教授
2010年6月に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士を取得し、同大学国際経済研究院で専任講師として採用される。
2013年1月より同大副教授。日中両国でのコラム執筆や講演活動も精力的におこなっている。
中国の外国人の大学教員の立場は、自国の言葉で教える非常勤講師か、海外の大学教員でありながら中国でも講義する客員教員が一般的。日本人を中国人枠での専任講師として採用するのは極めてまれで、人民日報やChina Dailyなどでも大きく紹介された。