第八回 知己(2)

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)裴くんの結婚式会場

裴くんと初めて出会ったのは、2004年1月。別の場所で知り合った中国人友人の誕生日会の席でした。

当時、彼は某大学の教師でしたが、その後その学校を離れ博士課程へ。医学博士取得後、今では別の大学で副教授となっています。

彼の実家は私の宿舎の近所で、よく家に遊びに行ってはお母さんが作ってくれた料理を食べ、食後にみんなでマージャンをしました。

2006年1月に結婚した、裴くん。その晴れ舞台で、彼は私を『伴郎(新郎の介添え)』に選んでくれました。日本人ではなかなかできない貴重な体験です。せっかくなので、ここでその一部を簡単に紹介します。

結婚式前夜、彼の家に泊まり準備。翌朝、朝食を終え新郎の両親に挨拶したら、装飾を施したリムジン(!)に乗り新婦を実家まで迎えに行きます。新婦の実家では親せきや『伴娘(新婦の介添え)』が待機しており、わざと無理難題を言って家に入れさせません。ちなみにその時は、

「五か国語で『愛してる』を言え」

というものでした。その難関を突破した後は新婦の両親に挨拶し、再びリムジンに乗り込み式場へと向かいます。

北京の結婚式はホテルやレストランで行うのが一般的です。食事はもちろん中華料理で、8人~10人用の円卓にはお酒やタバコ、ヒマワリの種などが並べられています。当日飛び込み参加する人もいるようで、余分に2テーブルほど準備しておいたそうです。なお、新郎新婦や来賓の挨拶、指輪の交換などが1時間ほど続き儀式は終了、食事が運ばれその場で宴会が始まります。

その後新郎新婦は『伴郎』『伴娘』を従え大名行列。全てのテーブルを回り、参加者一人一人に『喜酒(酒)』『喜糖(飴)』、『喜烟(タバコ)』をふるまい、出席者はその場で『红包(祝儀)』を本人に手渡しします。

なお、終了時間は決まっておらず、祝儀を渡したら自由解散となります。裴くんの結婚式の際も、全てのテーブルを回り、気が付いたら半分以上がいなくなっていました。

裴くんとは何度か旅行に行ったことがあります。その中で最も思い出深いのが2008年7月~8月に行った新疆ウイグル自治区。北部のウルムチから入り、トルファンを経て南部へ。南部ではカシュガル、ホータンを回りました。

2008年8月と言えばオリンピックの時期。新疆では厳戒態勢が敷かれていました。ホータンからウルムチへは24時間かけて高速バスで帰ったのですが、その間の検問の数なんと10回。夜中でも平気でたたき起こされ身分証明書をチェックされました。その時です。事件が起こったのは。

「数日剃らなかったヒゲ+九州生まれの濃い顔」が災いし、現地人と間違われてしまいまったのです。パスポートをみせて説明しても

「偽物じゃないのか?日本人はそんなに中国語は話せないはずだ」

の一点張り。最終的には、私が持っていた大学の学生証をみせて何とか信じてもらえました。偽物が出回っているパスポートよりも、大学の学生証の方が役に立つのには閉口しました。それにしてもウイグル人って、トルコ系の顔してるんですけど、それと間違われる私って……

家族ぐるみのお付き合いをしている知己、裴くん。その時の話は今でも笑い話として語り継がれています。


Yusaku Nishimura

投稿者について

Yusaku Nishimura: 対外経済貿易大学副教授  2010年6月に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士を取得し、同大学国際経済研究院で専任講師として採用される。  2013年1月より同大副教授。日中両国でのコラム執筆や講演活動も精力的におこなっている。  中国の外国人の大学教員の立場は、自国の言葉で教える非常勤講師か、海外の大学教員でありながら中国でも講義する客員教員が一般的。日本人を中国人枠での専任講師として採用するのは極めてまれで、人民日報やChina Dailyなどでも大きく紹介された。