(写真)今でも大切に保管している1996年の香山紅葉
「北京商学院」留学期間中、多くの先生方にお世話になりました。不慣れな異国での生活を強いられる留学生にとって、勉強だけでなく、生活面でもバックアップしてくださる中国人の先生方は本当にありがたい存在です。多くの先生の中でも、特にお世話になった先生が2人います。その先生方とは今でもお付き合いがあり、定期的にお宅を訪問しています。
一人目は、『听和说(ヒヤリング・スピーキング)』、『阅读(リーディング)』担当の杜老師です。女性の先生で、当時50歳前後だったと思います。すでに定年退職され、旅行と写真を趣味に、晩年を悠々自適に過ごされています。
杜老師はもともと学部生に「中国文学」や「作文」を教える副教授。プロの中国語の先生です。忙しい授業の合間をぬって、留学生の授業も兼任されていました。
とても真面目な杜老師は、教科書の内容をただ教えるだけではなく、中国語の歌の練習なども授業に取り入れ、留学生の興味を引き出そうと試行錯誤されていました。
走走走走走啊走、走到九月九♪
授業中に教えていただいた『九月九的酒』は15年経った今でもはっきりと覚えています。
1996年12月のクリスマスの時期、北京では珍しく雪が降りました。大雪だったことに加え、前日クリスマスパーティで大騒ぎしていた他の留学生は全員欠席。結局、唯一出席していた私と杜老師の一対一の授業となりました。その時何気なく話した、父が病気で入院していたため母が女手一つで育ててくれたという生い立ちや家族の事、私の将来の目標に心を動かされたようで、それ以降は生活面でも実の息子のように可愛がってくれました。
1997年11月には、私の事をテーマに書かれた杜老師の散文『我的东洋弟子』が、北京郵電大学出版社から出版された散文集に掲載されています。プレゼントしていただき読んだのですが、風邪をひいても休むことなく授業に出席し続けた私のことや、植物人間となった夫のために20年以上休むことなく看病に行く私の母のことが書かれていました。私もとても感動し、すぐに全文を日本語訳し母に郵送しました。
一年間の留学生活を終え、帰国を間近に控えた1997年7月3日。杜老師が私のために、「誕生パーティ+送別会」を開催してくれました。杜老師宅に十数名の先生方が集結、テーブルに乗りきれないほどの手作り料理は私のお腹と心を満たし、とても幸せな気分になったのを覚えています。
帰国後も春節には毎年電話をかけ新年のあいさつをしました。2002年の北京再訪の際に真っ先に会いに行ったのも杜老師です。
杜老師からいただいた香山の紅葉は、今でも私のアルバムに大切にしまってあります。
Yusaku Nishimura: 対外経済貿易大学副教授 2010年6月に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士を取得し、同大学国際経済研究院で専任講師として採用される。 2013年1月より同大副教授。日中両国でのコラム執筆や講演活動も精力的におこなっている。 中国の外国人の大学教員の立場は、自国の言葉で教える非常勤講師か、海外の大学教員でありながら中国でも講義する客員教員が一般的。日本人を中国人枠での専任講師として採用するのは極めてまれで、人民日報やChina Dailyなどでも大きく紹介された。