第8回:現地化

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)意思決定に中国人が加わることが現地化だ


どの会社も外国で事業をするときは、その国の事業環境や法律、文化に合わせる必要があり、そのため経営の意思決定の大部分を現地国籍の社員に委ねる。これがいわゆる「現地化」と呼ばれているものだ。中国における日系企業もこの「現地化」の必要性が叫ばれて久しい。もうトップが既に中国人になっている企業もあるし、代々日本人がトップを務めている企業もある。「現地化」という言葉に厳密な定義はないし、日系企業にとってもトップが現地人(中国人)になることだけが目的ではないことは言うまでもない。
 僕は2002年に上海で現地法人を立ち上げたとき、社員にこう言い放った記憶がある。「初代は日本本社から派遣された私が社長を務めるが、次代以降は貴方たちのような中国人に会社を経営してもらえるようにしたい」。その時、心なしか聞いていた社員の顔が紅潮したように感じた。別にリップサービスで言ったつもりもないし、当時は本当にそうすべきだと思っていた。しかし実際、当社が中国人トップを実現できたのは2008年になってからだ。トップ以外の日本人派遣社員はかえって増えたという事実もあるが、いわゆる「現地化」は6年たって一応実現したということになる。

 でも僕は中国での「現地化」については、日本人にも中国人にもいろんな誤解があるように思える。これも上海時代の話だ。当時、僕の会社の顧客の主力は日系企業と中国地方政府だった。しかし中国経済の拡大を考えた時、国有や民営の中国企業を顧客にしていくことが戦略上重要であることはわかっていた。

 ある日、中国人社員が僕のところに中国企業をターゲットとする事業計画案を持ち込んできた。そこに書かれている戦略は間違ってはいなかった。この社員が自分を責任者に任命してくださいと言ったことも、企画者として当然だろう。しかし次の要求だけは呑むわけにはいかなかった。「中国企業のことは日本の本社にはわかりません。責任者の私は、日本の本社とは独立に意思決定できる体制にしてください」。

 「現地化」が進まない日系企業を揶揄して、日本人は中国人を信用していないと言う中国人の識者は意外に多い。しかしこれには誤解がある。日本企業は中国人を信用していないのではなく、“特定個人による意思決定”を信用していないのだ。中国の企業はトップが意思決定する。だから中国人で自信のある人は、自分が意思決定する権限を求めてくる。しかし我々は中国人の意思決定を問題にしているのではなく、個人による意思決定を問題にしているのである。

 確かに日本企業の本社の経営陣は大抵、長くその企業に勤めてきた日本人社員で構成されており、よそ者、ましてや外国人である中国人を重要な会社の意思決定プロセスに組み込む勇気はない。この本社主義とでもいうべき日本企業の視野の狭さには、実は僕も辟易している。でも集団で意思決定をする日本企業の仕組みは、決定には時間がかかるが大きな間違いを犯さない、いわば安全弁になるという利点もある。トップが間違ったら即終わりという意思決定体制は、日系企業では実現し得ないと思う。

 もうひとつ。中国人社員が意思決定権を要求する理由は、中国社会では権限がある種のステイタスや利権につながることが多いからだ。例えば日本では会社同士の交渉の場では例え自分に意思決定権があるものでも「この案件は持ち帰って社内で検討します」という言い方をするし、それも認められる。しかし中国でこのような言葉を出すと、その交渉者の力量が低く見られがちになる。

 日本人はあまりやらないが、中国では権限のあるものはそれを使って例えばバーター交渉をしたりする。以前私の上海の会社の社員は、これは私の権限でOKするから、貴社の製品(オフィス用品)を1年間タダで使わせてください、なんて交渉もしたのだ。業務上の利点を得る目的だから賄賂とは言えないものの、このように個人の意思決定権はいろんな利権とつながってしまうのだ。

 繰り返しになるが、中国での正しい「現地化」とは、会社の意思決定に中国人幹部がきちんと加わることであって、特定の優秀な中国人に意思決定を任せるということではない。しかしこんな社員の言葉も思い出した。「日本人と一緒にものごとを決めるのは、本当に疲れます。こんなものトップが決めればいいと思うことでも、我々一般社員に意見を求めてきますからね」。自分の役割を割り切って考える中国人と組織全体の合意にこだわる日本人。こんなに文化が違うのだから、日本企業の「現地化」も荊の道だ。