第2回:公私混同

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)普通の就業規則には、そこまで書いてない……


中国語で「公私混同」は「公私不分」と言うらしい。そしてこの反対語は「公私分明」と言い、これは“公私を分ける”という意味になるようだ。ところでこの中国語の「公私分明」に対応する日本語が思い当たらない。つまり、日本人は公私を分ける行為というのはある意味当たり前だから、特にそういうワードは作らなかったということになるのか。
 中国人とビジネスをしていて痛切に感じることは、「公私」の概念が僕たちとかなり異なるということだ。中国は社会主義の国だから、当初は会社といってもすべて国有だったので、衣食住全部の面倒を会社に見てもらっていた。だから「公私」の区別なんて特に考えなくてよかったのに、いつのまにか市場経済下で「私有財産」が一部認められるようになった。一番戸惑ったのは、外資企業で働くようになった中国人たちではないだろうか 

 「会社のものは、個人が勝手に利用したり持ち帰ってはならない」、「会社の業務時間内の私用は、上司の許可が必要」、「業務上の秘密を他社や友人などに口外してはならない」等々、当初外資企業で働いた中国人たちは驚いたことだろう。実は僕が上海で会社を設立したときに面食らったのは中国人のこの「公私混同」概念だった。会社の電話やパソコンを私用で使うぐらいはまだ許せるが、業務での出張なのに平気で日程を延ばして友人に会ってきたり、顧客の名前などを友人にべらべらしゃべったりするのには閉口した。極めつけは、退社する社員が会社支給の携帯電話の返還を渋ったことだ。「だって、この携帯には友人の電話番号がたくさんあって、これがないと次の会社で仕事ができません!」
 こんなこともあった。僕の中国人の友人が上海の虹橋空港から電話で「空港でタクシーの行列が長いから貴方の社用車を迎えに来させて!」と言ってきた。「え、それは大変だとは思うけど……うちの社用車だから君には回せないよ」と言うと、「貴方は老板、私たちは友達でしょ?」。この友人は以前にも「私の作った資料、貴方の秘書が空いていたら翻訳してもらえないかしら?」と頼んできたこともある。ああそうか、彼女にとっては僕の車(社用車)でも秘書でも、全部僕の意のままになる私有物に等しいという概念なのか。

 情報ソースは失念したが、以前、会社という概念についてのおもしろい調査結果があった。質問は「会社は誰のものか?」というものだ。答えた人は米日中のビジネスマンだ。米国のビジネスマンは「会社は株主のものです」と答え、日本のビジネスマンは「従業員のものです」と答える。ところが中国人の老板は圧倒的に「自分のもの」と答える。さすがに中国人も会社は“国家のもの”とまでは答えなかったようだが、要するに組織や団体は権力を持つ人間に属するものだという概念だ。

 これでわかった。要するに中国人には「公共空間」という概念が乏しいのだ。日本人は自分の家の前の道でも毎日きれいに掃除するが、中国では例えばビルの公共空間であるトイレや非常階段は放置されるのでとても汚い。「自分のものでも国や権力者のものでもないもの」について、ルールを決めて共同で管理するという社会的経験が乏しいのだと思う。

 いろんな例をあげてみたが、実は「ここは会社なのだから、公私混同するな」というだけでは中国人とうまくやっていけない。会社の業務規則とかコンプライアンスとかいうのを持ちだして厳格に守らせようとしても、もともとその理由が彼らの腹に落ちていないのだからちょっとしたことでもギスギスしてしまうだろう。では、僕たちはどう折り合いをつけていけばいいのだろうか。

 もし日系企業であれば、最初から業務規則やコンプライアンス規定を押しつけずに中国人社員も入れた共同作業で会社のルール作りをしてみたらどうだろう。会社は老板のもので、規則も老板がつくると思っている中国人でも、自らルール作りに参画するとなると否応がなしに公共空間という概念を意識することになる。もちろん公私混同を全面的に認めるようなルールになってはならないが、「私用携帯電話料金の上限設定」とか「取得リベート金額の届出制」ぐらいまではひょっとしたら踏み込めるかもしれない。

 でも肝心なことはだぶんその成果ではない。日本人と中国人が一緒にルールを作るという行為自体が、日中の文化ギャップを埋める試みとして貴重なのではないかと思う。ところで、業務規則までこのような日中協同プロセスで作った会社はあるのだろうか。もし良い事例をご存じの読者がいらっしゃれば、ぜひご教示願いたい。