同じ運転手でも様々なタイプがある。僕が上海の老板時代、中国に来て最初に雇った運転手はまじめそうで感じがよかったが、なぜか2週間ほどでやめられてしまった。僕が夜にあまり飲みにいかなかったり、休日にゴルフに出かけたりしなかったことが原因だったらしい。つまり残業が少ないのが不満でやめてしまったと言うわけだ。
上海で次に雇った二人めの運転手は、寡黙なタイプだった。でもうちの会社とは相性がよいのだろう。僕の後も代々の老板に仕え、もう10年以上も我が社の運転手を務めている。口数は少ないが、目的地への時間の読みがものすごく正確で、めったに道を間違えたりしない。前もって訪問先の住所を告げておくときちんと調べておいてくれるし、迎えなどの時間などもきっちりと守る。
北京に来て今度はまた全然違ったタイプの運転手に出会った。彼は元々大学の運転手組織「車隊」に属していたこともあり、隊の廃止後も大学内でフリーで仕事をしていたが、僕が北京にやって来た時に大学側から推薦があり、うちの研究センターの運転手になってもらった。性格は明るく、おしゃべりが大好き。典型的な北京人ってやつだ。
現在の運転手は、上海時代の運転手とは性格が180度違う。結構、自己主張もする。運転中にいつも携帯電話を使うので危なくてひやひやするし、迎えの時間に遅れたりすると、「まだか」と言って電話してきたりする。訪問先の住所を詳細に教えても、電話番号をまず聞いて電話で相手の場所を聞く。訪問先の名刺しか情報がない時、その名刺の人にいきなり電話して「おたくはどこ?」なんて聞いてしまうので慌てることがある。
僕は北京の道路内の空気が汚く、また自身がコンタクトを着けている関係で、走行中に窓を開けられるのは本当に困る。彼には理由を話して夏でも窓を開けないでくれと何度も申し入れているにも関わらず、なぜか馬耳東風だ。ちょっと油断していると、エアコンを切って窓を開けて走っていたりする。車は自分の生活空間だという意識なのか、マイペースというか、まあ“職業運転手”という観点に立てば、彼は失格だろう。
でも彼には他にはない長所がある。まず大学の車隊にいたので学内で顔が広い。会議室の予約が取れない時は、あちこちのルートを伝って強引に予約してきてくれる。男手のない我が研究所で、いろんな総務的な雑務を嫌な顔をせずやってくれるし、面倒見も抜群によい。だから僕は彼を運転手だと思わず、総務部長だと思っている。中国人は自分の給料をもらっている仕事以外はやらないと言われているが、そういう意味では彼は出色だ。
僕自身は二人しか経験がないが、運転手の話は中国にいる日系企業の老板たちからたくさん聞いてきた。彼らは日々老板と一緒に行動するので、日本語なんて全然わからなくても、老板が毎日何をしているのか把握している。また運転手は“待つ”のが仕事だから、同じ運転手仲間はいつも駐車場などでだべっている。だから早耳情報も持っているし、うわさ話は大好きだ。もし会社の業績やスキャンダルを知りたければ、そこの会社の運転手に聞けばよくわかるだろう。
でも運転手はやっぱりストレスがたまる職業でもある。私の過去2人の運転手もそれぞれ1回だけ“キレた”ことがある。上海の運転手は、あんなに温和で寡黙なのに、ある日、よりにもよって我が本社の会長が上海に来ているときに、駐車場で他の会社の運転手らと喧嘩をしてしまった。僕がいざ会長を車に乗せて移動しようとするときに、彼が前歯を血だらけにしてやってきて、運転ができなくなったと謝った。そのとき、うちの会長はこう言った。「松野、中国ってのは、いろんなことが起こるのお」。
今の運転手もやらかしたことがある。急に進路変更したタクシーの運転手に腹を立て、交差点で止まった時に車を降りて文句を言いに行った。しかしあっという間にタクシー運転手の仲間たちに取り囲まれて、彼はボコボコにされそうになった。僕は思わず車を降りてオフィスに電話して助けを求めた。幸い、着ているシャツを破られただけで済んだが、あの時はまじ危なかった。日本でも運転すると人格が変わる奴がいるが、運転手という職業人でも、こんなことぐらいで興奮してしまうのかと思った。
日本では運転手は「白い手袋をはめて、いつも窓やボディを布で磨いている」というイメージがあるが、中国の運転手はなかなか人間味あふれる人が多い。僕は中国の普通の人が例えばあるニュースを知っているかどうかを確かめるとき、運転手に聞くことにしている。そう言えば例の「餃子事件」の時だって、事件の次の日聞いてみたが彼はその事実を知らなかった。中国の普通の”庶民“が何を知っているかを知るには、運転手はとても身近で役に立つ存在なのだ。
中国では、自分の運転手とは絶対友だちになっておくべきだと思う。そうしたら街や職場のいろんな情報がわかる。そして運転手の方もいつも老板のことをいつも観察している。老板の性格、趣味、言動・・・まさか、実はそれが運転手の本当の仕事だったりして。