(写真)授業中の質問回数はクラス一。成績、同級生と学校からの評価もクラス一のロバート
<プロフィール>
1980年生まれの一人っ子、遼寧省丹東出身。両親ともに同じ国営製紙メーカーに勤め、普通の家庭に育つ。学業は常にトップ。大学は清華大学生物医学部に入学。大学時代は、生体の機能・役割を科学的なアプローチで研究、コミュニティ活動では会長を経験。卒業後は、医療ビジネスに興味が高かったので、東芝(メディカル部門)、アメリカ系Chindex社、中国系Mindray社でマーケティングディレクターを務める。とにかくチャレンジ大好きで、クラス一の秀才。妻と子供と3人暮らし。
根っからの秀才タイプで、清華大学生物医学部に楽々入学。卒業後、渡米し博士号を取得する多くの同級生とは違って、医療ビジネス界で活躍を目指す
Q. 子供の頃、両親はどんな人だった?
A. 両親ともに国営製紙メーカーで働いていた。地方では大きな会社で、雇用は安定していた。しかし、1980年代半ばから中国が計画経済から市場経済に移行したのを機に、会社の業績は一気に悪化し、午前中だけの勤務になったり、50歳の頃に退職を強いられるなど、家庭環境はそれほどよくなかった。親の教育に関しては、私は勉強がよくできたので勉強に関して親から特に指示されたことないが、生活習慣などのしつけに関しては厳しかった。早寝早起き、礼儀正しさ、指示に従うなど基本的なことだが、徹底的に親がしつけてくれた。
Q. 学生時代はどんな生活だった?
A. 中学、高校は勉強一本だった。他の同級生も皆同じ。当時、中国、特に私の地方では勉強だけが豊かな人生を送れる唯一の道だったと思う。常にクラスでトップだった。大学は競争倍率100倍以上の清華大学生物医学部に入学。この学部は生物学と医学を組み合わせ、科学技術を用いて生体がどんな機能や役割を有するのか研究する学問。大学時代は生物医学にとても興味があったので勉強はよくしたが、パートタイムジョブやコミュニティ活動の会長を経験するなど積極的に勉強以外の活動に参加した。卒業後、同級生の半分は研究と博士号の取得にアメリカに行った。中国では教授やエンジニア・科学者はとても尊敬されており、私もその道に行こうと考えたこともあったが、自分はビジネス向きだと認識していたので、卒業後すぐに働き始めた。
とにかくチャレンジングな会社で働きたい!Mindray社勤務時代はタイ支社を自ら設立、20代ながら20人をマネジメントした
Q. これまでのキャリアは?
A. 大学卒業後、北京にある東芝(メディカル部門)で働き始めた。大学時代、生物医学を専攻したため医療ビジネスに興味があり、当時、中国の医療ビジネスで先頭を走っていた東芝に決めた(2002年7月)。東芝は1980年から中国でビジネスを開始し歴史が長く、GEなど欧米系大手メディカル企業は後発組だ。現場の社員はほぼ中国人、日本人は管理職が多かったので、現場で働いていた私にとっては中国企業色が強かった。入社半年は研修で、その後、山東省や河北省のセールスを担当した。東芝で1年が経ち社会人生活もようやく慣れてきた頃に、会社から中国南西部への赴任を命じられ、恋人や北京から離れるのが嫌だったので、アメリカ系Chindex社に転職した(2003年7月)。
ここではセールスを経験後、マーケティング部に移動になり、中国国内のマーケティングを徹底的に学ぶことができた。約3年が経過したとき、医療業界で急激に業績を伸ばしていた中国企業Mindray社が国際マーケティングの職を募集していたので、得意の英語とこれまでのマーケティング経験を活かしたいと思い、Mindray社に転職した(2006年2月)。
Mindray社は2006年にニューヨーク証券取引所に上場、年率50~80%の成長率を達成、数少ない中国企業でグローバル化に成功した企業だ。コアコンピタンスは、日米欧に比べて安い労働力(研究開発費)と日米欧が積極的ではない新興国にターゲットを絞った点だ。1991年設立と比較的新しい企業だが、品質面もようやく日米欧企業に劣らない水準まで来ていると思う。私はアジア全域を担当し、よく日本にもビジネスで行ったが、結局、日本の当局の販売許可が下りず、日本は断念したのを覚えている。タイでは自ら支社を開設し、そこのトップを務めた。ローカル人材も採用し、20名をマネジメント、とてもやりがいと責任のある仕事をできとても満足している。
Q. なぜ長江商学院MBAを選んだの?
A. きっかけは、ここ数年会社の成長速度が落ちてきて、以前ほどチャレンジングな仕事ではなくなった点だ。長江商学院は英語で行われ、ビジネスにフォーカスした学校なので、とにかく教授の質が高い。ここに集まるクラスメイトの質も高く満足している。8月から交換留学でコロンビアビジネススクールに3か月ほど行くので、アメリカの医療ビジネス業界を研究してきたい。
Q. 卒業後の進路は?
A. 卒業後は、とにかく勢いのある医療ビジネスを行う企業で会社全体をマネジしていくポジションに就きたい。私はとにかくチャレンジングな仕事が好きなので、どんどんチャンレンジさせてくれる企業がいい。将来は(40歳以降)、小さい頃の夢だった教授になるか、チャンスがあれば自らビジネスを立ち上げる予定だ。
第20回 長江商学院MBA Julia(女性)31歳
第19回 長江商学院MBA Flora(女性)30歳
第18回 長江商学院MBA Erica(女性)30歳
第17回 長江商学院MBA Li(女性)26歳
第16回 長江商学院MBA Conan(男性)29歳
第15回 長江商学院MBA Judy(女性)27歳
第14回 長江商学院MBA Gerry(男性)27歳
第13回 長江商学院MBA Sasha(女性)27歳
第12回 長江商学院MBA Sophie(女性)34歳
第11回 長江商学院MBA Tony(男性)27歳
第10回 長江商学院MBA Penny(女性)31歳
第8回 長江商学院MBA Audrey(女性)32歳
第7回 長江商学院MBA Desmond(男性)28歳
第6回 長江商学院MBA James(男性)27歳
第5回 長江商学院MBA Coco(女性)28歳
第4回 長江商学院MBA Frank(男性)31歳
第3回 長江商学院MBA Jason(男性)34歳
第2回 長江商学院MBA Cindy(女性)28歳
第1回 長江商学院MBA Spider(男性)29歳
Akinori Ouchi: 現在、日系事業会社の香港を拠点に中国関連の事業投資に従事、中華圏在住8年目。 1980年11月生まれ。大学在学中に日本の公認会計士試験(旧第二次試験)に合格。 大学卒業後、米系投資銀行でIPO引受/M&Aアドバイザリー、ネット系ベンチャーで事業開発を担当。 30代は「海外で活躍する」という夢を実現しようと、29歳のときアジアの時代に中国のトップビジネススクールである長江商学院に私費MBA留学。優秀なクラスメートたちに刺激され、卒業後は中国に残ることを決意。 留学や仕事で4年過ごした北京を離れ、2014年7月から香港へ移住。