第17回 長江商学院MBA Li(女性)26歳
高校、大学はイギリス留学。抜群の国際的視野と優しさを併せ持つ中国美人!

(写真)10月4日に結婚式を控え、準備に忙しいLi。今は幸せいっぱいです☆

<プロフィール>
1985年生まれの一人っ子、浙江省温州出身。両親は大手通信業者向けにモニターシステム会社を起業。幼少期は祖父母に育てられる。父親の影響で読書が大好きで、成績は頗る優秀。高校、大学はイギリス留学。大学時代はラテンダンスにのめりこむ。新卒でゴールドマン・サックスに入社し、ポートフォリオ管理を担当するバックオフィスに2年間勤務。家庭の事情で上海に戻った後、長江商学院MBAに入学。10月4日に挙式予定。

小さい頃、父親から薦められた読書のおかげで、成績優秀。高校、大学はイギリスへ留学

Q. 子供の頃、両親はどんな人だった?

A.両親は1996年に大手通信業者向けにモニターシステムを製造販売する会社を設立した。現在は従業員約300人、服や靴のメーカーなど伝統的な企業が多い温州の中では珍しいハイテク企業だ。小さい頃は両親が起業して非常に忙しかったため、祖父母と一緒に過ごすことが多かった。ただ、両親は勉強家で、読書をよくしており、私にもたくさんの本を買ってくれた。両親のおかげで、私も読書が大好きになった。読書のおかげで、自分から進んで勉強するようになり、小学校では成績は頗る良好。とても自由な幼少期を過ごした。

Q. 学生時代はどんな生活だった?

A.母親の健康問題で、家族全員で温州から父親の実家がある上海に移り住んでため、上海にある中学校に入学した。温州よりも上海の方が小学校の時から勉強の進捗スピードが速く、上海では既に小学校から英語の授業が始まっていたり、数学の進捗がかなり進んでいたため、中学入学当初は特に英語と数学はひどい成績だった。ただ、小さい頃から読書好きで、勉強が得意だったため、半年後には同級生に追いつき、その後はトップの成績を維持することができた。英語はとても良い先生に巡り合い、上達は早かった。その先生の夫が复旦大学の教授で、彼がよくイギリスに行っており、彼からイギリスの街並みの美しさ、教育環境の良さを度々聞いていた。そんな彼のおかげで、イギリスにとても興味をもつようになった。ある日、上海でイギリスの教育機関の展示会があり、イギリス留学を真剣に考え始めていた頃で、父親と一緒に行くことになった。そこで出会ったイギリスの方が私の英語をとても褒めてくれ、その場で英語の試験を受けることになり、イギリス留学の許可までいただいた。当時の夢は外交官になって、世界中を飛び回って仕事をすることだったので、家族と相談して、イギリス留学を決めた時は不安より興奮や期待が大きかった。イギリスでの高校はインターナショナルスクールで、日本やベトナムなどアジア、欧州など多国籍のクラスメイトと2年間を過ごした。初めての海外でとても楽しかったし、ホームステイ先で2年間過ごし、その家族にもとてもお世話になった。ただ、親元を離れ、一人異国の地で生活をするのはやはり大変で、ホームシックになったり、友達と楽しく遊べても、深い友達関係になれなかったりと、いろいろと苦労したのも事実。でもこれが私の内面を大きくしてくれたことは確かだ。大学はそのままイギリスに残り、イギリスのBathにあるBath大学の経営学部に入学した。Bathは綺麗な町で高校生の頃訪れて、一目惚れした場所だ。大学ではもちろん勉強は進んでしたが、ラテンダンスクラブに入部してからは、ダンスが大好きになった。Bathにはラテンダンスの先生が少なかったので、電車で1時間ほど離れた町にいた有名なラテンダンスの先生のところまで毎週1回必ず通い続けた。ラテンダンスから、ラテンミュージックも好きになったり、ダンスを通していろんな方と友達になれたのは本当に楽しかった。中国では当然勉強が重んじられるが、イギリスでは勉強より趣味の方が働く上では大事という考えがあり、仕事場では機械みたいな人と働きたくないし、面白い、素敵な人と仕事をしたいという価値観も強い。

新卒でゴールドマン・サックスに入社。2年間勤務後、家庭の事情もあり、上海に戻ることを決意。

Q. これまでのキャリアは?

A.大学卒業後は、イギリスにあるゴールドマン・サックスに入社し、ポートフォリオ管理を担当するバックオフィスで働いた。予想以上に忙しく、毎日平均12時間ほどの仕事量だった。仕事自体は充実していたし、周りの同僚はとても優しく、思いやりがある人たちで恵まれた環境ではあった。ただ、仕事時間がかなり長く、どうしても私には合わないと思って2年間働いた後、家族の事情も重なり、会社を辞め、上海に戻ることに決めた。

Q. なぜ長江商学院MBAを選んだの?

A.上海に住んでいた祖父の肺がんの症状がかなり悪化し、一度上海に戻り、祖父の看病をすることに決めた。小さい頃からずっと私を育ててくれた祖父に感謝していたし、最期が近いと聞いていたので、上海に4か月ほど看病をしていた。ただ、ずっと看病をするわけにもいかず、上海で働き始めようかと考えたが、その前にMBAでもう一度勉強してから働くことにした。

Q. 卒業後の進路は?

A.現在、インターシップをしている企業が株式公開を控えており、卒業後2、3年はこの会社で株式公開を成功させるまで勤務したいと思っている。その後は、10月4日に結婚する彼と上海に戻り、父親の会社で働こうかと考えている。父親の会社も株式公開を考えているので、卒業後の会社の経験が活かせればと考えている。長期的には、彼と一緒にウェディングプランナーとして独立したい。



Akinori Ouchi

投稿者について

Akinori Ouchi: 現在、日系事業会社の香港を拠点に中国関連の事業投資に従事、中華圏在住8年目。 1980年11月生まれ。大学在学中に日本の公認会計士試験(旧第二次試験)に合格。 大学卒業後、米系投資銀行でIPO引受/M&Aアドバイザリー、ネット系ベンチャーで事業開発を担当。 30代は「海外で活躍する」という夢を実現しようと、29歳のときアジアの時代に中国のトップビジネススクールである長江商学院に私費MBA留学。優秀なクラスメートたちに刺激され、卒業後は中国に残ることを決意。 留学や仕事で4年過ごした北京を離れ、2014年7月から香港へ移住。