Q. 子供の頃、両親はどんな人だった?
A.父親は国営企業勤務、母親は小学校で中国語の先生をしていた。教育やしつけには厳しい両親で、3歳から母親は私に中国語のピンインを教えていたし、箸の持ち方や服の畳み方など厳しくしつけされた。特に母親は教育熱心で、私は3歳から母親から教育を受けていたおかげで、同い年よりも2年早く特別に小学校に入学できた。小学校からずっと、同級生はみな私より2歳年上の1979年生まれの人たちだった。
Q. 学生時代はどんな生活だった?
A.母親の影響で、読書が大好きになり、休み時間になるといつも本を読んでいた。成績は上位トップ5をキープ。特に中国語と英語は得意だった。高校では理系クラスだったので、化学や物理も勉強した。部活はバスケットボールをして、よく放課後や週末に練習したものだ。高校の時は具体的な将来の目標はなく、大学は父親の薦めで、武漢にある華中科技大学の英語科に進学した。ちょうど私が大学に入学した頃(1998年)、ITが普及し始めた頃で、時間があればインターネットで毎日ネットサーフィンを楽しんでいた。海外の情報にアクセスしたり、友達とのチャット、他大学の生徒とのディスカッションなどしていた。英語に関しては、広東省は香港と近いため英語のテレビ番組を見ることができ、中学・高校生の頃からよく英語の番組を見ていたため、自然と英語力は上達していった。
米系と日系企業のマーケティング職を両方経験。日系企業の弱点は組織構造にあり
Q. これまでのキャリアは?
A.大学卒業後、コミュニケーションに強い興味があったので、一貫してマーケティング分野でキャリアを築いてきた。広告代理店で約2年半、米系Heinzでマーケティングスーパーバイザーとして約2年、日中合弁の東風日産でモデルストラテジーとして約1年、米系Amwayでアシスタントブランドマネジャーとして約2年半を経験してきた。経験社数は4社だが、一貫してマーケティング畑だ。米系企業と日系企業の違いを2つ上げると、1つ目は、米系は組織がフラットで、意思決定が早い、昇進基準が明確、日系は組織のヒエラルキーが強く、意思決定に多くの時間をかけすぎ、昇進基準があいまい。2つ目は、米系は本国からシニアマネジメントクラスしか派遣しないが、日系はミドルマネジメントクラスまで派遣し、会社に日本人がたくさんおり、中国人がマネジャーに上がるのに時間がかかる点だ。さらに、日系は駐在員に対する待遇が頗る良く、現地の中国人が明確な差を感じるのは好まれないと思う。これまでの私のマーケティングキャリアから日本企業にアドバイスすると、中国人の間では、日本の商品は品質が高いことは有名で、日本の企業はもっと品質、責任感、信頼など、キーメッセージを発するべきだと思う。それに有名人やアスリートを使ったマーケティングキャンペーンを大掛かりにやるべき。付け加えると、消費財セクターでは、メイドインチャイナの商品は最近本物かどうか疑いがかかることが多くなったので、メイドインジャパンブランドの方が信頼が増すと思う。
Q. なぜ長江商学院MBAを選んだの?
A.これまでマーケティングキャリアを歩んできたが、MBAを通してマネジメントを学び、次はシニアマネジメントのポジションで会社全体を見ていきたい。長江商学院は1年MBAで奨学金が充実しているため、CEIBSと比べてコスト(機会コスト含む)が半分ぐらい安い。米系Amway勤務時代(2009年)に広州市のビジネス中心街に家を買ったが、それがぐんと値上がりし、MBAで払った授業料を既に回収することができた。ビジネス中心街は今後も不動産は値上がりが続くと思う。
Q. 卒業後の進路は?
A.卒業後は、これまでの経験を活かして、消費財セクターの経営企画室や戦略部門で働きたい。5年以内にディレクターレベルまで上がれればいい。外資系戦略コンサルティングファームも考えている。
Akinori Ouchi: 現在、日系事業会社の香港を拠点に中国関連の事業投資に従事、中華圏在住8年目。 1980年11月生まれ。大学在学中に日本の公認会計士試験(旧第二次試験)に合格。 大学卒業後、米系投資銀行でIPO引受/M&Aアドバイザリー、ネット系ベンチャーで事業開発を担当。 30代は「海外で活躍する」という夢を実現しようと、29歳のときアジアの時代に中国のトップビジネススクールである長江商学院に私費MBA留学。優秀なクラスメートたちに刺激され、卒業後は中国に残ることを決意。 留学や仕事で4年過ごした北京を離れ、2014年7月から香港へ移住。