(写真)8月から交換留学に行く同級生のためのフェアウェルパーティーで。いつもオシャレなSophieはこの日もとってもきれいです。
<プロフィール>
1977年生まれの一人っ子、遼寧省鞍山出身。父親は営業マンから脱サラして会社経営者、母親はファッションデザイナーなどを経て、今は父の会社の社長に。学生時代は勉強があまり好きではなく、バスケットボールに熱中したり、大連にてファッションモデルの派遣ビジネスを企画・実行したりするなど、人をまとめるのが得意だった。大連工業大学卒業後は、中国最大の電子情報メーカーHuawei Technologies、米系UTStarcom、友人が起業したベンチャー企業でジェネラルマネージャーを務める。8月からアメリカへ交換留学予定。
バイタリティあふれる母親に刺激され、常に「楽しい」を追求し、自分らしい学生生活を送る
Q. 子供の頃、両親はどんな人だった?
A. 私が生まれた1977年はまだ一人っ子政策はまだなかったが、家庭が貧しく、両親が全力を注いで私を育てたいという気持ちから第二子は産まなかったと聞いている。両親の気持ちは理解できるが、やっぱり一人っ子は寂しいので、弟妹が欲しかった。私が小さい頃、母親はファッションデザイナーや縫製工場のマネージャー、父親はガラスメーカーの営業マンだった。私が大学生の頃(1997年)、父親は脱サラして建築資材の販売会社を起業した。父親は中卒、母親は家庭が貧しかったため小学校2年生までの教育しか受けておらず、両親ともにハングリー精神で自分の道を切り開いていったのは本当にすごいと思う。その後、母親は父親の会社に移り、今は社長として会社経営をしている。母親のことはすごく尊敬しているし、人生の目標とする人だ。私に対する教育やしつけは厳しくなかったが、とにかく後悔だけはしない自分の人生を歩めと諭してくれたことは特に印象に残っている。
Q. 学生時代はどんな生活だった?
A. 高校時代、北京大学や清華大学など一流大学には興味はなかったので勉強はあまりしなかった。その分、熱中したのはバスケットボールで、「楽しく」をモットーに練習に励み、多くの仲間と青春を過ごすことができたのは最高の思い出だ。バスケはチームワークの楽しさを味わえるし、うまくプレーした時は皆から褒めてもらえるので大好きだった。これも一人っ子で寂しかったからかもしれない。
大学は実家から近かった大連工業大学に進学し、専攻は電子工学。特に興味はなかったが、両親が薦めてくれた。1年生の時からあまり勉強せず、キャンパスライフをエンジョイしていた。2年生のときに4年生の彼氏ができて、彼と一緒に過ごす時間がぐっと多くなった。彼はプロ並みのバスケットボール選手、成績はトップクラス、学生会の会長を務めるなどとても素敵な人だった。勉強以外では、大連はファッションビジネスが盛んで、私もファッションモデルに挑戦し、自動車展示会などに出演していた。ただ、自分はファッションモデルよりもその子たちを束ねる方が好きだったので、ファッションモデルの派遣会社みたいな仕組みを考えだし、大学できれいな女子学生を探し出し、20人ほど登録してもらって、いろいろなイベントに派遣していた。これも両親が独立して会社経営をしていたので、それが大きく影響していると思う。
母親のように将来起業家になることを意識して、着実にステップアップを図る
Q. これまでのキャリアは?
A. 大学卒業後は、中国最大の電子情報メーカーHuawei Technologiesを選んだ。大学の時からつき合っていた彼氏はすでに働いていたが、私が深圳にあるHuaweiに決まった時、両親や彼は大連からは相当遠いので当初は反対していた。しかし、私が熱心に説得した結果、彼は会社を辞めHuaweiに転職し、彼と一緒に行くことになった。Huaweiは北京大学や清華大学など超エリートが集まる会社で、上司や同僚はとても素晴らしい人たちだった。そのおかげで、私はぐんぐん成長でき、プロジェクトマネジャーとして部下を率い、多数のプロジェクトを成功に導くことができた。3年後、米系UTStarcomにプロジェクトマネジャーとして転職し、給料は2倍になった。英語が社内公用語で、上司はアメリカ人というグローバルな環境で5年間仕事をすることができ、仕事内容は満足していた。しかし、ジェネラルマネジャーまで昇進するためには後5年待つように上司から告げられ、当時29歳だった私はもっと早くジェネラルマネジャーに就きたかったため、転職を考えていた。その時、ちょうどHuawei時代の友人が独立し、彼がエンジニアだったので、私に会社全体をマネージするポジションを引き受けてくれないかとの依頼があり、ジェネラルマネジャーになれるチャンスだと思い、立ち上げたばかりの彼の会社に転職した。当時の従業員は30人だったが、今では150人まで拡大し、採用、オペレーションなどマネジメント経験を多く積むことができた。
Q. なぜ長江商学院MBAを選んだの?
A. ジェネラルマネジャーの仕事をひと通り経験してみて、すべてのマネジメントの仕事は私にはできないし、足りない分が多いと気づき(特にファイナンス)、MBAでしっかりとマネジメントを学びたいと考えた。なぜ長江MBAを選んだかというと、アメリカや香港のMBAも検討していたが、MBA後は中国で仕事がしたいと考えていたので、中国でのビジネスネットワークが築ける中国国内のMBAが賢明だと考えた。その中で、長江MBAと上海にあるCEIBSからオファーをもらったが、CEIBSはコンサルや投資銀行で働きたい若手が多く自分とは目標が違うなぁと感じていた。一方、長江MBAは中国ビジネス界でのネットワークがかなり強く、EMBAでは多くの起業家が入学・卒業しており、EMBA卒業生とのネットワークを考えるとこちらの方が私には合うと感じ、長江MBAに決めた。
Q. 卒業後の進路は?
A. 卒業後は、大企業ではなく、スタートアップ企業など小さな企業でジェネラルマネジャーに就き、長江MBAで学んだことを活かしつつ、マネジメント力をさらに磨きたいと考えている。長期的には、母親のように成功した起業家になりたい。
Akinori Ouchi: 現在、日系事業会社の香港を拠点に中国関連の事業投資に従事、中華圏在住8年目。 1980年11月生まれ。大学在学中に日本の公認会計士試験(旧第二次試験)に合格。 大学卒業後、米系投資銀行でIPO引受/M&Aアドバイザリー、ネット系ベンチャーで事業開発を担当。 30代は「海外で活躍する」という夢を実現しようと、29歳のときアジアの時代に中国のトップビジネススクールである長江商学院に私費MBA留学。優秀なクラスメートたちに刺激され、卒業後は中国に残ることを決意。 留学や仕事で4年過ごした北京を離れ、2014年7月から香港へ移住。