この1カ月の間に、新疆ウイグル自治区の中心都市・ウルムチで、2件の爆発事件が起きた。
1件目はメインターミナルであるウルムチ駅を出てすぐの駅前広場で、2件目は公園近くの朝市で発生。いずれも人が多く集まる場所を狙った犯行で、複数の容疑者がその場で自爆し、死亡している。1件目では2人が自爆し、1人の市民が死亡、2件目は4人が自爆し、39人もの市民が犠牲になった(数字は5月26日現在)。
私は1件目の事件が起きた直後に、ウルムチに入って取材をした。駅前広場は銃を持った特殊警察が闊歩し、カメラを出して少し撮影するのも、はばかられるくらいの緊張感があった。そこで我々は外の取材をいったんあきらめ、警備の目をかいくぐりながら、周辺の建物を中心に聞き込みを続け、爆発現場の目の前の旅館を取材することに成功した。2階の部屋の窓ガラスは窓枠から外れ大破しており、衝撃の激しさを物語っていた。旅館の主人は、血まみれで運ばれていく女性を目撃したという。 この1件目の事件は、習近平国家主席がウルムチ市を視察した直後に起きた。完全にメンツをつぶされた習近平指導部は、「テロリストを断固として打倒する」という声明を発表。事件の早期解決と再発防止を誓っていたが、2件目の事件を防ぐことができなかった。しかも2件目の事件も、習主席が上海の国際会議で高らかと、「アジアの安全観」を打ち出した直後の犯行だ。2度までも、顔に泥を塗られた習主席は、「テロとの戦争」を宣言、なりふり構わずテロ対策を強化する姿勢を示し、まさに「いたちごっこ」の様相を呈している。
新疆ウイグル自治区でここまでテロが頻発する理由として、少数民族であるウイグル族と、漢族の対立が理由に挙げられる。ウイグル族の「自治区」と言いながら、トップは常に中央から派遣されてくる漢族で、ウイグル族は最高でもナンバー2止まり。街中には漢字の看板が乱立し、中華料理の店もどんどん作られている。そのような境遇を不満に思っている一部のウイグル族が、過激なイスラム思想に影響され、テロを起こしているという説明だ。
もちろん、どんな理由があれ、無辜の人を巻き添えにするテロが許されていいはずはない。しかも、このようなテロが起こるたびに、漢族とウイグル族の対立はますます深まっていく。北京でも、人ごみの中にウイグル族がいるだけで、恐怖を感じると、真顔で語る漢族の知り合いは多い。特に屋台でスイカや羊の串焼きを売っている人たちは、刃物を持っていることが多いから、彼らがこちらに向かってこないかと、気が気でないのだという。
こうした偏見が、また差別を産み、そしてさらなるテロの悲劇を生む。まさに「負のスパイラル」だ。テロリストたちは自らの「命の価値」を顧みず、せっせと「負のスパイラル」を大量生産している。自らは「ジハード」が終われば天国に行けると思っているのだろうが、死後の世界のことなど誰もわからない。というかたぶん、死後の世界など存在しないだろうから、死んだら死ぬだけのことで、それ以上の意味は何もないのだろう。その上で周りに迷惑をかけ、不幸にしているのだから、全く意味のない人生を送っていることになる。
しかし、テロリストのエゴのために犠牲になる一般市民の人たちは違う。彼らは毎日泣き笑い、一生懸命生活してきた人たちである。彼らの「命の価値」は、決して奪ってはいけない貴重なものだ。日本で事件や事故の報道をするとき、被害者についてどう伝えるかは、記者なら誰しも直面する問題だろう。彼らの生前の姿をしっかりと伝えることで、我々は命の尊さを伝えることができると、私は先輩から教わった。遺族の方の家のピンポンを押すのは、非常に躊躇することだ。しかし、前に述べたような理由があるからこそ、我々は遺族の方に許していただける範囲で、被害者の方の実名を出させてもらい、生前の様子を紹介する。
しかし、中国では事情が違う。今回の事件にしても、犯行を起こしたとされる容疑者の名前は公表されたものの、39人の被害者に関しては、性別も、年齢も、民族も、名前も、何一つ公表されないのだ。人の命は「39」という数字だけで測れるものではない。事件の悲惨さを伝える上でも、被害者の情報を伝える意義は大きい。たとえば被害者がウイグル族であれば、テロリストたちは全く無差別に犯行を起こしたことがわかり、彼らの大義名分も色あせることになる。(ちなみに、南京大虐殺の資料館などでは、犠牲者の方について、非常に細かい資料を用意し、実名を挙げて展示しているので、中国政府としても、TPOで使い分けているのかもしれない)
民族問題が絡んだ事件など、敏感なテーマに関しては、我々外国人記者は、なかなか自由に取材をすることは難しい。ただ、何とか犠牲者の人の肉声を伝わるような、そんな事件報道を目指せればと思う。
Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)