便りは、いつも突然やってくる。
12月22日、冬至の日。支局で一人、夜のニュースを見終わって、帰り支度をはじめた私の携帯電話に、続々とニュース速報が入ってきた。
「令計画(れいけいかく)氏が重大な規律違反で調査を受けている」
令計画氏は前の国家主席・胡錦濤(こきんとう)氏の最側近だった人物だ。中央弁公庁主任として、胡氏のスケジュールを隅々まで管理し、外遊などには常に同行していた。そんな重要人物までが、「反腐敗」の荒波を避けることができず、ついに失脚することになった。政治的には非常に大きなニュースで、私は帰り支度をやめ、すぐに原稿に取り掛かった。
具体的な規律違反の内容は不明だ。しかし、伏線はいくつもあった。2012年の夏、令氏は中央弁公庁主任の職を解かれ、統一戦線工作部の部長に就任している。統一戦線工作部は、中国共産党と党外の各会派との調整を担当する部署で、あまり重要なポストとは見られていない。いわゆる「左遷」だが、この「左遷」につながったとされるのが、令氏の息子が同年3月に起こしたフェラーリ事故だ。
事故が起きたのは真夜中の4時。香港メディアなどの情報を総合すると、令氏の息子は、当時飲酒しており、フェラーリには全裸に近い女性が2人同乗していた。スピードを出しすぎコントロールを失ったフェラーリは、側道の壁にぶつかり大破、令氏の息子は即死し、女性のうち1人も病院に運ばれ、のちに亡くなったという。そして、事故を重く見た令氏が、当時公安部門のトップを務めていた周永康氏に、もみ消しを頼んだという噂が、まことしやかにささやかれていた。
さらに、もう1つの伏線として、令氏の親族が次々と失脚したことがあげられる。令氏は山西省の出身で、父親は、新聞によく出てくる単語から、子供たちの名前を付けた。「令方針」「令政策」「令路線」「令計画」「令完成」の5人兄弟だ。そのうち兄で、地元山西省の幹部を務めていた「令政策」氏と、弟でビジネスマンだった「令完成」氏が、すでに調査を受けている。令氏の地元・山西省の出身者たちが集まり、様々な情報を交換し合う「西山会」という組織が、腐敗の温床となったという報道もある。
息子の事故による左遷と、家族に及ぶ調査の網。そんな状況でも、令計画氏は淡々と仕事をこなしていたが、やはり失脚は避けられなかった。
令氏が事故のもみ消しを頼んだとされる周永康氏も、今月5日に党籍をはく奪され、逮捕が決まった。周氏はかつて最高指導部である「中央政治局常務委員」を務めていた。以前は、「常務委員は刑を受けない」という不文律があったとされているが、習近平国家主席は、そのタブーに、敢然と立ち向かったことになる。
「トラもハエも叩く」と高らかに宣言した習主席は、まさに破竹の勢いで汚職撲滅を進めている。広がる一方の格差の下、特権階級に怨嗟の声を上げる一般庶民は、「トラ退治」を拍手喝さいして喜んでいる。インターネットには、習氏夫妻を称える歌のアニメまでが登場した。
汚職に立ち向かう習主席の姿勢は、まさに「光」に見えるが、「光」あるところ常に「影」がある。習主席が汚職撲滅を進めれば進めるほど、「ほかも皆やっているのではないか」と疑心暗鬼を呼び、その矛先が、いつ自分に向かってくるとも限らない。
さらに問い詰めれば、何匹もの「大トラ」を生んだ共産党の統治体制そのものが、間違っていたのではないかという結論にまで達しかねない。習主席もその危険をわかっているのだろう。10月に開かれた共産党の重要政策を決める「四中全会」では、「法治」という概念を前面に打ち出した。
これは裏返せば、これまで「法治」の概念が非常に希薄だったことを表している。日系企業に聞くと、どれだけ頼んでもダメな許認可が、ある中国人を通せば簡単に下りるといった例は、枚挙にいとまがないそうだ。背後で、有形無形の利益が動いているのだろう。まさに「法治」ではなく「人治」の典型だが、習主席の就任以降は、そのような事例は非常に減ったという。末端の意識が変わり始めたという点では、「法治国家」への改革は、非常に有意義な性質を持っていると言える。
もちろん、習主席の目指す「法治」は、「中国の特色ある法治」であり、「共産党の指導のもとの法治」である。もろ刃の剣がいつ自分に跳ね返ってくるかわからない状況で、来年以降も厳しいかじ取りは、続いていくのだろう。
2年前、令計画氏の息子が事故を起こした市内北部の幹線道路を、今回改めて訪れてみた。事故現場は名門大学が立ち並ぶエリアで、令計画氏の息子も、北京大学に通っていたという。
ここであの事故が起きなければ、令計画氏は失脚せず、中国指導部の顔触れも変わっていたのだろうか。それとも、事故自体が権力闘争のパズルの1ピースとして、仕組まれていたものだったのか?今となっては、それは誰にもわからない。
特派員のひとりごと 最終回「消されたノーベル賞」
特派員のひとりごと 第27回「共和国」へ
特派員のひとりごと 第26回「ある朝鮮人男性」の死
特派員のひとりごと 第25回 オレンジ色の救世主
特派員のひとりごと 第24回 ネットとリアルをつなぐ人々
特派員のひとりごと 第23回 人民解放軍の光と影
特派員のひとりごと 第22回 威信をかけたG20
特派員のひとりごと 第21回 「スコールとリキシャの国で」
特派員のひとりごと 第20回 「中国的速度」
特派員のひとりごと 第19回 揺れる「石炭の町」
特派員のひとりごと 第18回 突然の失脚劇
特派員のひとりごと 第17回 不思議の国の美女たち
特派員のひとりごと第16回 俳優と皇帝 ー「1つの中国」、2人のリーダー ー
特派員のひとりごと第15回 天津爆発事故と、中国の安全
特派員のひとりごと第14回 沈んだ「東方の星」
特派員のひとりごと第13回 AIIB狂想曲
特派員のひとりごと第12回 “遠くて近い国”モンゴル
特派員のひとりごと第11回 中国経済の“新常態”
特派員のひとりごと第9回 3年ぶりの25分
特派員のひとりごと第8回 黄色いリボンと傘の革命
特派員のひとりごと第7回 東南アジア取材記 その2
特派員のひとりごと第6回 東南アジア取材記 その1
特派員のひとりごと第5回 北と南が交わる場所で
特派員のひとりごと第4回 民主と自由
特派員のひとりごと第3回 命の重さ
特派員のひとりごと第2回 「歴史」をめぐる戦い
特派員のひとりごと 第1回 政治の季節
Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)