特派員のひとりごと第10回 反腐敗の“光”と“影”

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)フェラーリの事故現場

 便りは、いつも突然やってくる。

 12月22日、冬至の日。支局で一人、夜のニュースを見終わって、帰り支度をはじめた私の携帯電話に、続々とニュース速報が入ってきた。

 「令計画(れいけいかく)氏が重大な規律違反で調査を受けている」

 令計画氏は前の国家主席・胡錦濤(こきんとう)氏の最側近だった人物だ。中央弁公庁主任として、胡氏のスケジュールを隅々まで管理し、外遊などには常に同行していた。そんな重要人物までが、「反腐敗」の荒波を避けることができず、ついに失脚することになった。政治的には非常に大きなニュースで、私は帰り支度をやめ、すぐに原稿に取り掛かった。

 具体的な規律違反の内容は不明だ。しかし、伏線はいくつもあった。2012年の夏、令氏は中央弁公庁主任の職を解かれ、統一戦線工作部の部長に就任している。統一戦線工作部は、中国共産党と党外の各会派との調整を担当する部署で、あまり重要なポストとは見られていない。いわゆる「左遷」だが、この「左遷」につながったとされるのが、令氏の息子が同年3月に起こしたフェラーリ事故だ。

 事故が起きたのは真夜中の4時。香港メディアなどの情報を総合すると、令氏の息子は、当時飲酒しており、フェラーリには全裸に近い女性が2人同乗していた。スピードを出しすぎコントロールを失ったフェラーリは、側道の壁にぶつかり大破、令氏の息子は即死し、女性のうち1人も病院に運ばれ、のちに亡くなったという。そして、事故を重く見た令氏が、当時公安部門のトップを務めていた周永康氏に、もみ消しを頼んだという噂が、まことしやかにささやかれていた。

 さらに、もう1つの伏線として、令氏の親族が次々と失脚したことがあげられる。令氏は山西省の出身で、父親は、新聞によく出てくる単語から、子供たちの名前を付けた。「令方針」「令政策」「令路線」「令計画」「令完成」の5人兄弟だ。そのうち兄で、地元山西省の幹部を務めていた「令政策」氏と、弟でビジネスマンだった「令完成」氏が、すでに調査を受けている。令氏の地元・山西省の出身者たちが集まり、様々な情報を交換し合う「西山会」という組織が、腐敗の温床となったという報道もある。

 息子の事故による左遷と、家族に及ぶ調査の網。そんな状況でも、令計画氏は淡々と仕事をこなしていたが、やはり失脚は避けられなかった。

 令氏が事故のもみ消しを頼んだとされる周永康氏も、今月5日に党籍をはく奪され、逮捕が決まった。周氏はかつて最高指導部である「中央政治局常務委員」を務めていた。以前は、「常務委員は刑を受けない」という不文律があったとされているが、習近平国家主席は、そのタブーに、敢然と立ち向かったことになる。

 「トラもハエも叩く」と高らかに宣言した習主席は、まさに破竹の勢いで汚職撲滅を進めている。広がる一方の格差の下、特権階級に怨嗟の声を上げる一般庶民は、「トラ退治」を拍手喝さいして喜んでいる。インターネットには、習氏夫妻を称える歌のアニメまでが登場した。

 汚職に立ち向かう習主席の姿勢は、まさに「光」に見えるが、「光」あるところ常に「影」がある。習主席が汚職撲滅を進めれば進めるほど、「ほかも皆やっているのではないか」と疑心暗鬼を呼び、その矛先が、いつ自分に向かってくるとも限らない。

 さらに問い詰めれば、何匹もの「大トラ」を生んだ共産党の統治体制そのものが、間違っていたのではないかという結論にまで達しかねない。習主席もその危険をわかっているのだろう。10月に開かれた共産党の重要政策を決める「四中全会」では、「法治」という概念を前面に打ち出した。

 これは裏返せば、これまで「法治」の概念が非常に希薄だったことを表している。日系企業に聞くと、どれだけ頼んでもダメな許認可が、ある中国人を通せば簡単に下りるといった例は、枚挙にいとまがないそうだ。背後で、有形無形の利益が動いているのだろう。まさに「法治」ではなく「人治」の典型だが、習主席の就任以降は、そのような事例は非常に減ったという。末端の意識が変わり始めたという点では、「法治国家」への改革は、非常に有意義な性質を持っていると言える。

 もちろん、習主席の目指す「法治」は、「中国の特色ある法治」であり、「共産党の指導のもとの法治」である。もろ刃の剣がいつ自分に跳ね返ってくるかわからない状況で、来年以降も厳しいかじ取りは、続いていくのだろう。

 2年前、令計画氏の息子が事故を起こした市内北部の幹線道路を、今回改めて訪れてみた。事故現場は名門大学が立ち並ぶエリアで、令計画氏の息子も、北京大学に通っていたという。
ここであの事故が起きなければ、令計画氏は失脚せず、中国指導部の顔触れも変わっていたのだろうか。それとも、事故自体が権力闘争のパズルの1ピースとして、仕組まれていたものだったのか?今となっては、それは誰にもわからない。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)