日本の国技、大相撲。
外国に住んでいるからだろうか?大相撲中継を見ると、どこかほっとする。もちろん、私は報道記者なので、相撲の知識は素人同然だ。しかし今回、モンゴルの国民栄誉賞を受賞して、凱旋帰国する横綱・白鵬関を取材する機会に恵まれた。
北京空港から2時間半。モンゴルに行くのは初めてだったが、親しみはずっと持っていた。小学校の教科書で「スーホの白い馬」という話を読んで、馬頭琴(ばとうきん)という楽器が出てきたことを覚えている。顔つきもどこか日本人に似ている。何しろ、我々黄色人種は「モンゴロイド」と呼ばれるくらいだ。あとは、やはりチンギス・ハーン、騎馬民族のイメージが強烈だ。
ウランバートルの空港から市内に向かうまでの間、周りには何もなく、赤茶けた大地が広がっていた。市内に入ると、看板はすべてロシア語だ。異国に来たことを実感する。
「モンゴルはロシアの衛星国だったからね。でも今は中国語の看板もどんどん増えてきているよ」
コーディネーターによると、モンゴルが独立を保てたのは、地理的要因が大きいという。中ソがそれぞれ「緩衝地帯としてのモンゴル」を必要としたというのだ。その後モンゴルはソ連の庇護で発展してきたが、1990年代初めに社会主義陣営は崩壊し、民主化の道を歩み始めた。
そして、大相撲でのモンゴル勢の躍進だ。私が熱心に相撲を見ていた1990年代は、外国勢は曙や武蔵丸といったハワイ勢が主流だった。それが今や、3横綱はモンゴル勢が独占している。今回は、その強さの秘密を探ってみたいとも思っていた。
まず訪れたのは、白鵬の通った小学校だ。校内には、特大の写真が飾られている。担任だった先生は、去年白鵬から日本に招待され、直々に労をねぎらわれたと感動していた。この人柄の良さに加え、父親も金メダリストという血筋の良さもあり、白鵬はすでに、モンゴルでは国民的英雄となっていた。
翌日は、いよいよ授賞式だ。大統領の宮殿に、民族衣装をまとった白鵬が登場した。授賞式中、私は彼の一挙手一投足に注目していたが、きっちりと背筋を伸ばし、微動すらしなかった。さすがは横綱の威厳である。ただ一瞬、大統領から勲章をつけてもらうとき、横綱の目が潤んだようにもみえた。わずか29歳で国民の英雄となった若者は、何を思ったのだろうか……。
 今回の授賞前、白鵬は、歴代最多の優勝がかかった大一番で取り直しを命じられことについて審判を批判し、問題になっていた。
スポーツの世界では、審判は絶対だ。ましてはしきたりに厳しい大相撲だ。白鵬はテレビ番組で謝罪したが、きちんとした謝罪になっていないとして、一部の日本メディアから叩かれ続けていた。
授賞式を終えた白鵬は、吹っ切れたような表情で、笑顔も見せていた。審判批判についても、「もう終わったことなので、この勲章に恥じないように頑張っていきたい」と、落ち着いて答えてくれた。
会場には元横綱・朝青龍も姿を見せた。審判問題に関しては、朝青龍もツイッターで「審判部の間違いはある」「白鵬をいじめるな、マスコミたち」と白鵬を擁護している。彼自身、横綱としてその言動がしばしば批判されてきただけに、白鵬の気持ちがよくわかるのだろう。雲一つない青空の下で、笑顔で写真に納まる2人の姿が、非常に印象的だった。
授賞式の後は、モンゴル相撲の会場へと向かった。小学生から青年までが、上半身裸で取り組み合っている。日本の相撲と違って、土俵があるわけではなく、レスリングのような大きな会場で、何組もが同時に戦っている。あちらで投げられ、こちらで投げられ、かなりの迫力だ。
 取り組みが終わったばかりで、息が切れている若い力士たちに話を聞いたが、日本の大相撲が目標だという答えが多かった。
「大相撲で活躍して、白鵬の記録を今度はぼくが塗り替えたい」
金銭面の魅力に加えて、朝青龍や白鵬の人間的魅力にひかれている若者が多かったことが印象的だった。大相撲でモンゴル勢が活躍する時代は、もうしばらく続くのかもしれない。
 最後に、モンゴルの街を歩いている際に、どこかからか聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。
♪♪トンボのメガネは水色メガネ~
みると、日本のごみ収集車が、ウランバートルの街で元気に頑張っているではないか。
モンゴルはやはり「遠くて近い国」だ。そんな実感を持ったモンゴル出張だった。
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Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)