青空のかなたから、耳をつんざく轟音を立て、2台の黒い戦闘機が現れた。次の瞬間、2台は左右に分かれ、猛スピードで大きく旋回する。一旦視界から消えた機体が、すぐに再び頭上に現れ、今後は機首を真上に向ける。そこからは一直線、垂直に急上昇だ。白い軌跡を真っ青な空に残しながら、ぐんぐん、ぐんぐん上昇を続け、はるか上空で視界から消えた。その間、わずか2分ほど。これでもかと機動力を見せつけた最新鋭戦闘機は、余韻だけを残し、再び現れることはなかった。
これは11月1日に、広東省珠海市で開幕した、航空ショーの一コマだ。頭上を通り過ぎていった機体は、中国が国産で開発を進める最新鋭ステルス戦闘機「殲20(せん・にじゅう)」で、この日が、公の場での初登場となる。地上では、秘密のベールの向こうから姿を現した最新兵器に、多くの航空ファンが熱狂的な視線を浴びせ、人民解放軍の制服組トップ、範長龍氏が満足そうにその姿を眺めていた。
ショーではほかにも、中国が配備を進める無人機「翼竜」や、最新の大型輸送機「運20(うん・にじゅう)」などが披露された。空軍のスポークスマンは「中国空軍の力量を見せつけ、強い軍としての自信を伝えるものだ」と豪語した。まさに、人民解放軍にとっての晴れ舞台といっていいだろう。
しかし、光あるところには、常に影がある。航空ショーから先立つこと3週間。10月11日の深夜、軍の創立記念日の名前を冠した「八一大楼」の前には、多くの迷彩服を着た男女が集まっていた。そして、彼らを周辺から隔離するように、「八一大楼」前の道路数百メートルを、大量の警察官と警察車両が取り囲んだ。北京市の中心部にそびえる巨大な「八一大楼」は、人民解放軍の幹部が外国から来た要人らと会見を行う、軍の迎賓館ともいえる建物だ。もちろん、軍事禁区として、一般人の立ち入りは禁止されている。その場所にこれだけの人が集まり、これだけの警察官が動員されるというのは、尋常な事態ではない。赤と青のパトカーの警告灯が、普段は物静かな深夜の大通りを、せわしなく照らしていた。
「退役した軍人が、待遇改善を求めて、デモをしているようだ」
周辺の人に聞くと、迷彩服の男女は昼ごろから集まり始めたという。さらに驚いたことに、彼らは全国各地から、時を同じくして、一斉に集まって来たらしいのだ。時計の針は深夜12時を回っていたが、退役軍人たちの動きは秩序立っており、大声を上げたり、警察らともめたりする様子はなかった。彼らはどこから来て、何を求めているのか?少し離れた場所で迷彩服の男女何人かに話しかけてみたが、口止めされているのか、皆こちらを一瞥するだけで、答えてくれる人はいなかった。通常、自分たちの主張を押し通すために集まってくるデモ隊は、マスコミの前で自分たちの主張を声高に叫ぶものだが、彼らにはそんな素振りは全くなかった。プラカードや横断幕などもなく、ただ黙って集まっているだけ。その自制心の強さが、軍人らしいと言えばそうなのだが、どこか奇妙な感じはぬぐえなかった。
そして翌朝、再び「八一大楼」の前に来て、目を疑った。夜の出来事が嘘のように、迷彩服の男女がすっかり姿を消していたのだ。中国メディアはデモについて、一切報道していないので、何も知らない人は、ここで何が起こっていたか、想像もつかないだろう。情報を総合すると、彼らの出身地の省の幹部らがそれぞれ北京入りし、待遇改善を約束するという条件で、必死で説得したようだ。その後国防省は取材に対し、退役軍人の一部が生活に困窮し、デモを行ったことを認めた。その上で、「軍改革を進めることで、彼らの生活問題を改善できると信じる」とコメントした。いつもは木で鼻をくくったようなコメントしかしない国防省が、デモを素直に認めたのも、意外なことだった。それだけ、今回の動きに対する、危機感が強いのだろう。
人民解放軍は中国という国の軍隊である前に、中国共産党という党の軍隊だ。日中戦争と国共内戦を勝ち抜き、武力で政権を樹立した中国共産党にとって、人民解放軍こそが、己の権力の源泉といえる。しかし、権力を持った軍は各種の利権と結びつき、ビジネスに手を染め、本来の姿を見失っていった。そこに危機感を持ち、メスを入れたのが、習近平主席だ。7つあった軍区を5つの戦区に再編したほか、連合参謀部などを新設し、陸軍中心の仕組みを改めた。30万人の兵力削減も宣言した。習主席は軍改革で「戦う軍隊を作る」としたが、逆に言うと、これまでの軍には「戦う」ことより「金儲け」ばかりを考える軍人が、少なからずいたということだろう。
巨額の費用を投じ、最新鋭の兵器を開発する一方で、多くの退役軍人が生活に困窮しているという歪み。軍改革がその歪みを解決できるのか、さらなる歪みを生んでしまうのか。今後の中国を占う上での、大きなファクターといえるだろう。
特派員のひとりごと 最終回「消されたノーベル賞」
特派員のひとりごと 第27回「共和国」へ
特派員のひとりごと 第26回「ある朝鮮人男性」の死
特派員のひとりごと 第25回 オレンジ色の救世主
特派員のひとりごと 第24回 ネットとリアルをつなぐ人々
特派員のひとりごと 第22回 威信をかけたG20
特派員のひとりごと 第21回 「スコールとリキシャの国で」
特派員のひとりごと 第20回 「中国的速度」
特派員のひとりごと 第19回 揺れる「石炭の町」
特派員のひとりごと 第18回 突然の失脚劇
特派員のひとりごと 第17回 不思議の国の美女たち
特派員のひとりごと第16回 俳優と皇帝 ー「1つの中国」、2人のリーダー ー
特派員のひとりごと第15回 天津爆発事故と、中国の安全
特派員のひとりごと第14回 沈んだ「東方の星」
特派員のひとりごと第13回 AIIB狂想曲
特派員のひとりごと第12回 “遠くて近い国”モンゴル
特派員のひとりごと第11回 中国経済の“新常態”
特派員のひとりごと第10回 反腐敗の“光”と“影”
特派員のひとりごと第9回 3年ぶりの25分
特派員のひとりごと第8回 黄色いリボンと傘の革命
特派員のひとりごと第7回 東南アジア取材記 その2
特派員のひとりごと第6回 東南アジア取材記 その1
特派員のひとりごと第5回 北と南が交わる場所で
特派員のひとりごと第4回 民主と自由
特派員のひとりごと第3回 命の重さ
特派員のひとりごと第2回 「歴史」をめぐる戦い
特派員のひとりごと 第1回 政治の季節
Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)