Let it Beijing

日本の若手作曲家の筆頭に数えられる河原嶺旭さんは2013年に活動の拠点を北京に移しました。20歳でドラマの楽曲で作曲家デビュー、当時23歳だった2011年にはミリオンヒットを手がけるなど年間作曲家売上で第三位を獲得、現在まだ25歳という早熟なキャリアを持つ若者は「音楽は世界共通の言葉、自分にしか出来ないことをやっていきたい」と、強い決意を覗かせながら言います。
この物語は全てを捨てて大陸にやってきた青年が音楽を通じて交流しながら成長していく記録である!



第一回『Beijing Calling』



(写真)音楽雑誌の取材にて


2013年10月18日、25歳の誕生日に私は北京に来ました。

北京に来るまでは日本で作曲家として活動しており、幸いにも大好きな音楽に携わりながらご飯が食べられる、充実した日々を過ごしていました。自分が書いた楽曲がドラマやアニメ、歌番組などで流れるというのは何事にも代え難い喜びであり、誇りでもあります。新聞や雑誌の取材を受けたり、専門学校で特別講義をするなど、沢山の貴重な経験をさせていただきました。

「なぜ北京に来たのか?」

北京でクリエイティブな仕事をしている多くの人が聞かれるフレーズだと思います。「海外で自分を試してみたい」「海外での音楽教育がやりたい」「これからは文化を世界に発信する時代だから」etc…。
私も嘘偽りのない本心を答えているのですが、どれもこれも本当の正解ではない気がしています。「なぜ北京に来たのか?」なんて一言二言では言えるものではないのかもしれませんが、もしかしたら私自身もまだ探している途中なのかもしれません。このビリオンビーツの記事を書いてみたいと思ったのも日々の出来事や北京での暮らしをまとめていくうちに何かが見えてくると思ったからです。

「なぜ北京に来たのか?」

もちろんこの言葉にはいくつかの解釈があると思います。
基本的にはクリエイターとしての精神的な部分であったり、ビジネス的なマーケットの部分であったり、作曲家としての意見を求められることが多いですが、経緯という意味では1冊の本が書けるくらい素晴らしい出来事が重なっています。

そんな北京に初めて訪れたキッカケから、現在の生活や音楽を通じた活動などを書いていけたらと思っています。






Mine

投稿者

河原嶺旭

1988年10月18日生まれ。
神奈川県横浜市出身。
17歳から音楽を始め、20歳でテレビドラマ「メイド刑事」挿入歌で作曲家デビュー。2011年にAKB48に提供した『風は吹いている』が160万枚を越えるヒットとなり『アイドルと同世代の作曲家』として注目を集め、同年の年間作曲家売上第三位を獲得。アニメ・ゲーム関係の仕事も数多く手がけており、雑誌のコラムの執筆や教育関係など仕事の幅は多岐にわたる。2013年より、北京・上海を中心に活動している。

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