運転席に誰も乗っていない車が、ゆっくりと動きだした。徐々に前進しながら、白線に沿って、小刻みにハンドルを切る。前方に人の姿をとらえると、滑らかに停車する。助手席のガイド役の男性が、後部座席の私に振り返り、誇らしげに話しかけた。
「乗り心地はどうですか?これが北京汽車の自動運転車です」
北京と上海で、毎年交互に開催される中国のモーターショー。今年は北京開催の年だが、「贅沢禁止」のお達しもあり、露出度の高い女性モデルたちは、すっかり姿を消した。そのかわり、注目を集めていたのが、未来の車ともいえる「自動運転技術」を搭載した車たちだ。
特に地元の国有企業・北京汽車は、モーターショー会場にモデルコースを作って、希望者に試乗をさせる力の入れようだった。冒頭のやり取りは、その時の試乗の様子である。
自動運転技術では、国有企業の長安汽車も、注目を集めた。長安汽車は、本拠地の重慶から北京までの2000キロを、自動運転技術を使って走破するというキャンペーンに打って出たのだ。実際にどのくらいを「自動運転」で走ったかはわからない。ともかく彼らは5日間かけて北京にたどり着いたと主張し、その模様は国営メディアで大きく取り上げられた。
メイド・イン・ジャパンのプライド、日本の匠の技…。1976年生まれの私は、幼いころから「日本ブランドは世界一」という誇りを持って育ってきた。特に日本車は、「安くて性能が高い」日本ブランドの象徴的存在だった。幼少期には、あまりに売れすぎた日本車がアメリカで叩き壊される場面をテレビで見て、悲しくなったものだ。
だから心のどこかでは、中国メーカーにはまだまだ負けないだろうと、高をくくっていた部分もあった。しかし、うかうかしてはいられないというのが、今回のモーターショーを通じて得た実感だ。
もちろん、車体やエンジンの質では、日本メーカーは中国メーカーの数段上をいっているだろう。しかし未来の車は、単純な移動手段ではない。電気自動車なら電気制御やバッテリーの技術が必要だし、自動運転を実現するためには、GPSやレーダーの技術も不可欠だ。また、多くの車からインターネット経由でデータを集め、渋滞予防や事故防止に役立てる「ビッグデータ」処理の技術も欠かせない。言い換えれば、車は単なる移動手段から、電気技術やIT技術など、様々な技術を融合した巨大な情報端末への過渡期を迎えているのだ。
その「パラダイムシフト」の真っ最中に、中国は果敢に攻めている。
深センに本社を持つ自動車メーカー「BYD」は、去年のエコカーの販売台数が世界一になったとアピールした。そもそも電池メーカーだった「BYD」は、2003年に自動車に参入したばかりだ。その躍進を支えているのが、「秦」というセダンタイプのエコカー。価格は20万元(約360万円)と安くはないが、政府による多額の補助金が人気を後押しした。「BYD」はほかにも「唐」「宋」「元」といった王朝シリーズの車を出しており、偉大なる復興を目指す中華民族の心をくすぐっている。
10年ちょっと前まで、電池を作っていた会社が、巨大な市場と、政府の力を利用して、一気に世界一の座に踊り出る。中国に赴任して間もなく3年になるが、私はこのスピード感=「中国的速度」こそが、日本と中国との違いではないかと思うようになった。
「中国的速度」の例は、IT業界でも見られる。数年前までは考えられなかったことだが、今では誰もがスマートフォンのアプリでタクシーを呼び、そのままアプリで支払いを済ませる。同じくスマートフォンを数回クリックすれば、三度の食事からぜいたく品まで、何でも取り寄せ可能だ。宅配業者は道端で無造作に荷物を扱っており、「丁寧さ」では日本の足元にも及ばないが、それでも何だかんだいって荷物は届く。そして何より、圧倒的に「速い」。
プロセスではなく、結果を重視する国民性もあるだろう。民主主義ではなく、一党独裁の国家だからこそできる芸当なのかもしれない。他国のITサービスを締め出し、無理やり中国企業のサービスを使わせるといった“ズル”もしている。ただこの官民一体となった「中国的速度」のダイナミックさこそが、中国社会に活力を与えていることは、まぎれもない事実だろう。
「中国メーカーは本当に動きが速い。いつまでも我々が優れていられるかはわからない」
再び北京モーターショー。日系自動車メーカーの幹部が焦りを隠せないのとは対照的に、中国メーカーの鼻息は荒かった。
「伝統的な車では中国は日本に劣っているが、自動運転で形勢は変わる。間違いなく中国は、世界一になるだろう」
私見だが、日本もそろそろ太平の眠りから覚め、「中国的速度」を超えるスピードで、進化を目指す必要があるのではないだろうか?島国に閉じこもっていても、衰退していくだけだ。日本の自動車メーカーのニュースが「燃費不正」の話題だけでは、あまりに寂しい。
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Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)