特派員のひとりごと 第27回「共和国」へ

2017年7月4日 / 特派員のひとりごと

(写真)平壌市内に張られたポスター

今年4月、北朝鮮に行くチャンスが訪れた。故金日成主席の誕生日「太陽節」に合わせ、海外メディアを招待するというのだ。これまで北京で、北朝鮮の動静を取材してきた身として、実際に現地に行ってみたいという思いは、常に持ち続けてきた。もちろん、相次ぐミサイル発射に加え、更なる核実験の可能性がある中で、安全が確保できるのか、懸念はあった。国交がないので、いざという時に守ってくれる日本の大使館はない。ただ、行って初めてわかることもあるだろうし、何より非常に貴重な機会である。総合的に判断し、今回は取材ツアーに参加することを決めた。

「謎の国」北朝鮮の「謎の首都」平壌までは、北京から高麗空港に乗り、たった2時間で到着する。待ち構えているのは、厳しい荷物検査だ。持ち込む本は、1つ1つ細かくチェックされ(日本語がどこまでわかっているのかは不明だが…)電波を発するWifiルーターはすべて没収された。四苦八苦して手続きを終え、ゲート抜けると、そこには2人の男性ガイドが迎えに来ていた。北朝鮮で外国人は自由に行動できず、必ずガイド同伴の移動となる。彼らは日本語も堪能で、意思疎通には困らないが、独特のルールもある。

まず、「北朝鮮」という言い方はNGだ。先方の公式見解では、南=「韓国」という国は存在しない。朝鮮に北も南もないのである。なので、基本的には「共和国」または、「朝鮮」と呼ぶ。また、新聞を読むときは、金正恩委員長の写真を折り曲げてはいけないといったルールもある。ただ、最低限のルールさえ守れば、「安倍総理をどう思うか?」といった政治的な話も、比較的自由にできた印象はある。

取材は全て、先方が設定した場所を回る「ツアー方式」だ。金正恩委員長が指示して作った医療施設や、娯楽施設が主な取材先で、庶民の暮らしが良くなっているといった成果をアピールする場所が多い。ほとんどの日程は告知されているが、直前までわからない日程もある。それは、金正恩委員長が参加する日程だ。

例えば、金正恩委員長がテープカットに参加した「黎明通り」の取材に関しては、前日の深夜11時を回ってから、「明日は午前4時集合」と、突然通告された。事前に教えないのは、安全上の理由だろう。また、集合時間が非常に早いのも、安全検査に時間がかかるからである。金正恩委員長が、身の安全を非常に気にかけていることがうかがわれる。

 ツアー中、金正恩委員長を見たのは、「黎明通り」のテープカットと、太陽節の軍事パレードの際の2回。どちらも非常に遠くから見たので、表情は分からなかったが、恰幅が良かったのが印象的だった。スピーチはしなかったので、肉声を聞くことはできなかった。

 また、地方での取材もあった。東部の港町、咸興(ハムン)で、現地に暮らす残留日本人の取材が設定されたのだ。1910年から終戦まで、日本は朝鮮半島を統治したが、戦後の混乱で、現地に取り残された残留日本人の問題は、これまであまり取り上げられてこなかった。自宅で取材に応じた彼女は、北朝鮮政府への感謝をとうとうと述べた。涙ながらに日本の童謡を歌う場面もあった。もちろん、パフォーマンスの要素もあるのだろうが、70年以上の彼女の苦労を思うと、複雑な思いがよぎった。彼女とメディア全員で夕食を取った後、別れ際に握手をした際の、強い手の力が印象的だった。

 さらに、買い物をする機会もあった。北朝鮮のスーパーに連れて行かれたのだが、そこでは一切撮影が禁止された。別の記者は値段をメモしていただけで注意され、メモした紙を没収された。同じ紙を何度も再生しているからだろうか、真っ黒な紙でできたノートもあった。記念に買って帰ろうとしたが、ガイドにレジで没収された。全体として、品ぞろえは悪くないのだが、野菜や魚など、生鮮食料品はあまり豊富ではなかった。国際社会の制裁を受けている中で、生活に影響が出ている様子は、伝えられたくないのだろう。

 取材を通じて、限られた範囲とはいえ、北朝鮮の人たちの考え方を知ることができたのは、良い経験だった。彼らはアメリカを敵視し、その同盟国である日本や韓国も敵視している。意外だったのは、「血の盟友」として朝鮮半島を戦った中国に対しても、好意的な意見を聞かなかったことだ。アメリカに追随して国連制裁に参加していることが、気に入らならしい。北京にも北朝鮮の人はいるが、やはり自分の国だと、本音を話してくれる率が高いように思う。

 行くか行くまいか迷った取材ツアーだったが、振り返ると「行って良かった」と思う。もちろん、北朝鮮側には宣伝目的があるし、ホテル代や食事代を通じて、外貨を稼ぐ目的もある。それでも、実際に現地で、ガイドたちと同じ釜の飯を食べることで、通じ合える瞬間はあるものだ。また、そうした個人同士の交流の積み重ねで、国と国との関係も、変わっていくのだろうと思う。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)